小田原北条氏を滅亡させた城
▲名胡桃城から沼田市街を望む
ある年の冬の城見学の行先に選んだのが、群馬県みなかみ町にある名胡桃城でした。小田原北条氏が関わる時代劇には必ず登場する城で、2016年の大河ドラマ「真田丸」にも名前だけは出て来たので、記憶にある方もおられると思います。
上越線後閑駅で下車して、そこから小雪が舞う中、長靴で比高差57mの所にある名胡桃城を目指しました。城跡がある場所は駅の目の前の山の上にあって見上げることが出来るのですが、間を利根川が流れているため、大きく迂回しなければなりません。
名胡桃城は断崖上にあって、遠く沼田城を見ることが出来たため、それを嫌った北条氏が秀吉との約束を反故にして、真田が支配していたこの城を攻め取ったと言われています。これで北条氏討伐の大義名分を秀吉に与えてしまい、20数万の軍勢に陸上と海上から包囲され、五代約百年続いた北条氏は戦うことなく滅亡してしまいます。その軍事及び官僚機構は絶頂期にあったのですが、垂簾政治を行っていた北条氏政のプライドと時世の読み違いが破滅の原因でした。
名胡桃城は山の中の城というイメージがありましたが、現地に立つと、城跡の目の前を月夜野バイパスが走っているため、道路端の小公園と言った趣になっていました。それでも、城の先端にある物見台に立つと、遥かに沼田城を見通すことが出来ました。城は深い谷で隔てられた尾根を削って平らにしたもので、更に主廓部に入る為に設けられた枡形虎口は規模が大きく、堅固な城であることが分かりました。城域は、バイパスのずっと奥まで広がっていて、出城という規模のものではありません。しっかりとした人数で、敵が来ると分かって守っていれば、十分に持ち堪えられる城だった筈です。しかし、城主の留守を見透かすように、沼田城にいた北条方の奇襲を受けて、城は簡単に落とされています。さすがの真田昌幸も、この事態は読めませんでした。
見学後、降り出して来た吹雪の中、沼田に向かうバスに乗るために、雪を払いながら上越新幹線上毛高原駅に向かいました。これぞ雪中行軍といった趣になりましたが、長靴での移動ですので、今一迫力なし。その代わり大山巌元帥が愛唱し、今際のきわにも歌っていたという「雪の進軍」を口ずさみながら歩きました。行き交う人が誰も居なかったのは、勿論です。
上毛高原駅に近づいたら、道端に小川城なるものを示す看板に遭遇。全くの未チェックでした。訪れると、小ぶりな構えの城でしたが、自然の谷を利用した深い空堀も残っていて、在地土豪の城といった雰囲気に浸ることが出来て、得した気分になりました。
暫くしてやって来たバスに乗ると、沼田駅を経由して高台にある沼田城や市街地まで登って行くと分かり、沼田城の目の前で下車しました。山上の台地に造られた城と城下町という珍しいレイアウトの中を散策した話は、また別の機会に。
▲名胡桃城本丸
▲名胡桃城三の丸から二の丸を望む
▲名胡桃城三の丸空堀